My Days

乳がん、SLEのことを記録します

昨日の乳腺外科 内科



昨日は乳腺外科、内科の受診日でした。


肝臓数値は、ほぼ基準値に戻って来ました。
あー、良かった。
ウルソ、効いてくれました。
300越えだったから、ほぼ10分の1に
戻ってくれました。


この時点で、
一応、ホルモン剤フェアストンの薬剤性肝障害
ということに落ち着きました。


ただ、免疫グロブリンGが、(IgG)
まだ基準値から少しHなので、
免疫性肝炎は、シロというわけではありません。


SLEの身体に、
薬剤は負担となり、
免疫性肝炎に進んでいたと、
そう思います。
薬剤誘発性免疫肝炎 
これが正解でしょう。




早速、次のホルモン剤の話が出ましたが、
まだ、怖い。
もう少し、肝数値を戻してから、
そう伝えました。


CEA  1、5
CA15−3   11、8
と、まだまだ基準値内ながら、
ホルモン剤を3月上旬にストップしてから、
少しずつ上向きです。



先生としては、ここらで
攻撃を始めたいところですが、
ひと月後になりました。


SLEがあるので、
わたしの思いを
無視することは
できないのでしょう。


そこは、負けてくださって
感謝です。



タモフェキシンに戻すのが良いのかな。


と思っていましたが、


帰ってよく見ると、
次回 注射 の予約が入っていました。


フェソロデックス。


昨日は、フェソロデックスは
4週間身体に残留するので、
もし、また
肝数値が上がっても、
すぐには落とせない恐れがある、
と、言われていましたが。


私が、タモフェキシンの子宮体がんリスクを
とても気にしていたせいでしょうか。




次は、来月、まずは
肺腫瘍摘出を受けた、
1年検診があります。


忙しくなってきました。


肝数値が下がって、動けることが
ありがたいです。



ブログはお役立ちアイテム だね


明日は病院なので、
前回受診からの事を
主治医に伝えられるように、
メモしようとしてみた。


ら!


「あら?いつから、変だったんだっけ?」
「いつから戻ったっけ?」


って、モヤってしまっている。


今回のキツさは、絶対伝えておきたいのに。


そんな時、
このブログがあったじゃあーりませんか!


わー、書いといて良かった〜。


自分のブログ見ながら、
シコシコ、ノートに書き、


あとの情報として、
兄や義姉と交わしたメッセージアプリを見直し、
泣き言やら、復活の喜びやら、の文章から、
鮮明に脳内写真を呼び戻せた。


あ〜良かった。


ブログありがたや。



希望



今日、ある方のブログで、
久しぶりに、
岸洋子さんのことを思い出した。


「希望」は、1970年リリースとある。
私は、8才。


でも、ソラで歌える。


4つ上の兄がとっていた
かつての中一時代とか、中二時代とかの、
付録のソノシートレコードに
ついていたのかなぁ。


悲しいけど、逞しい歌、
という記憶だ。



6年前、シャンソンにハマったことがあり、
エディット・ピアフ、金子由香利、越路吹雪
そして、岸洋子の歌に再会した。


多分、そのとき、知ったんだと思う。
彼女が、難病で亡くなったと。


そして、今日、
もしかして、と調べたら、
膠原病、SLEだった。


しかも、SLEからの腎臓病の悪化、とあった。


同じだなぁ。


SLE、そして、ループス腎炎。


なんだか、なんだか、
嬉しかった。


あんな素敵な歌手と同じ病。


YouTubeで見た、
病から一度復活して歌う
「希望」
じんと来た。




中学一年の時、
教育実習の先生がクラスに来たことがある。
お別れの時、
「夜明けのうた」を歌ってくれた。
音楽の教生の先生だった。


すごく感動した。


あれも、岸洋子さんの歌だったんだと、
6年前に知った。



しばらく、シャンソンWORLDに
舞い戻りそうな私です。


心の中に歌があるって、幸せ。
病の床でも、
悲しみの中でも
絶望の淵でも
消え去らない宝物
ですね。